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第二海堡に行ってきた

東京湾の第二海堡に上陸してきました。

今回はちょっとボリュームあります。

この5月から認可を受けた旅行会社での第二海堡上陸ツアーが解禁になるそうですが、一足早くクラブツーリズムの先行ツアーで上陸してきました。昼に横須賀中央駅に集合し、そのまま昼食に向かいました。昼食代はツアー込みです。入ったお店は横須賀ビール。1階がビールの醸造所と立ち飲みスペースで2階がレストランになっています。
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海軍カレー。牛乳とサラダがセットなのはお約束。カレーは甘め。

昼食後は三笠公園にある猿島行きの船が出ている桟橋までてくてく歩いて向かいます。出航まで30分ほど時間があったので、三笠公園をぶらついたりして時間を潰しました。

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第二海堡が見えてきました。だいに「かいほう」と読むのですが、私はこの年まで「かいほ」と読んでいました。この写真はちょうど海堡の真西方向から東を向いて撮っています。

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明治時代の「間知石」が綺麗に残っている護岸

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船が接岸した北桟橋。

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上陸するとすかさずこの看板
(許可を受けて上陸しています)

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乗ってきたシーフレンド1号

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灯台の電源を賄うための太陽光発電施設

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海堡のほぼ中央部にある防空指揮所。少し前まではここの階段を登れたみたいですが、今は手前に柵が出来てしまって登れません。因みにこの場所の北側には海上災害防止センターの消防演習場というのがあります。そこの写真は撮影してはいけませんとのこと(なぜだ?)。

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防空指揮所の丘は27cmカノン砲の砲台です。上の写真はその何らかの付属構造物(地下への入り口?)。

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浦賀水道を行きかう船舶を見張るレーダーが旋回しています

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防空指揮所の砲台付近に落ちていたレンガの破片に桜の刻印が。この刻印は小菅監獄(今の東京拘置所)で製作されたことを示すそうです。

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防空指揮所のあたりでは第一海堡が遠くに望めます。こちらは完全に立ち入り禁止です。管理は財務省がしているとのこと。

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太陽光発電所から灯台付近にかけてはかつて15cmカノン砲の砲台が4基あったようです。これは一番東側の砲台。太平洋戦争の頃に高角砲が据えられたとの記録も。

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海堡の南側海岸。南桟橋の突堤が見えます。

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東から2番目の15cmカノン砲砲台跡

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砲台と砲台の間にはこのような構造物があります。恐らく地下へ通じているものと思われます。

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何かの台座と思われますが何を載せていたのか…?

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ロックボルトと菅が乗っていたと思われる跡。探照灯か何かを据え付けていたのでしょうか?

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第二海堡灯台。因みに東から3番目の15cmカノン砲砲台跡に建っています

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最初に明かりが灯ったのは明治27年9月

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南京錠を開けるだけではダメでボルトを緩めないと開かないようです

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第5等4面フレネルレンズだそうです。今回のツアーで一緒だった熱烈灯台マニアの不動まゆうさんのブログで調べました。特定の方向だけ赤い色にして危険のある方向を示すのを分弧と言います。分弧の方向は東側なので、灯台より東側が長く伸びているためかな? そういうデータは「灯台表」という海上保安庁が出している結構なお値段のする本に出ています。法令で船に備えなければならないケースがあるので本の形にするのはわかるのですが、今時ネットでデータが検索できないというのは如何なものか…。

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灯台の隣には東京湾を監視するカメラが設置されていますが、常に我々の方を向いていた気が…

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監視カメラの横にはMeSO-netの地震観測点が

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4番目の15cmカノン砲砲台跡から西側は特に崩落が激しいです。

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「立ち入り禁止の場所に特別に入ることができた」記念にこの看板を撮影する人が多いのだとか

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27cmカノン砲台が2基設置されていたあたり

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コンクリートの配合が昔っぽい

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大型探照灯が設置されていた場所。コンクリートには防水措置としてアスファルトが塗られていた痕跡が見えます

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ここのレンガにも桜の刻印

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27cmカノン砲砲台の崩落個所(南側法面)。このようにレンガの上にセメントを盛ったような作りになっています

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かなりぐちゃぐちゃ

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一番西側の15cmカノン砲砲台跡~東側27cmカノン砲砲台の崩落

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FORT. NO2と書いてあるのがわかるでしょうか?

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美しいいでたち

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地下への通路(埋まっています)

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今ではまずこのような配合にはしないと思われるコンクリート(27cmカノン砲砲台?の北側)。

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海堡の北側の掩蔽壕のレンガ。下部に入り口のようなものが開口しています

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同じく掩蔽壕を逆方向から

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ケーブルハンガー。使われている鉄は輸入したものだそうです

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以前まだ立ち入り禁止ではなかった頃にここに住み着いていた人が出たことから、ここは埋められたとのことです

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係船倉庫

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横須賀中央駅に戻る道すがら

軌跡1
第二海堡への行き帰りの船の軌跡

軌跡2
第二海堡内での足取り。これらの軌跡データはGT-730FLという秋月電子で購入したGPSロガーで取得したものです。ちゃんと座標を計測できているように見えるのですが、データをダウンロードしたところ、日時が1999年7月22日になっているのです(時刻は合っていた)。奇しくもこの日4月7日に、「GPS WEEKのrollover」というものが起こりました。GPSの信号に含まれるGPS WEEKの情報が10bitしか無いため、1023週までしかカウントできません。その為に定期的に週番号がゼロに戻ってしまうのです。前回は1999年にあったのですが今回は2回目のロールオーバーになります。どうも私のGPSロガー(GPSエンジンはSkytraqのVENUS5と思われる)は今回のロールオーバーには対応していなかったようです。トホホ…
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靖国神社に行った

靖国神社に行ってきました。

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水中写真家・戸村裕行さんの水中写真展が遊就館で開かれているのでそれを見るためです。
戸村氏がビキニ環礁の戦艦長門等の撮影に行くために寄付を募ったクラウド・ファンディングに当方も出資したので、そのリターンとして遊就館の招待券が入っていました。

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玄関ホールの零戦52型です。ここは無料のエリアなので誰でも閲覧することが可能です。

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零戦の搭載している20mm機銃です。スイス・エリコン社のエリコンFFのパクリライセンス生産です。旧日本軍の機銃や火砲はこのように外国製に頼っていたケースが多く、毘式(ビッカース社)、保式(ホチキス社)等と頭の文字を漢字にして表していました。

この日は東京で仕事を済ませてから立ち寄ったため、遊就館に着いたのは16時近くになっていました。靖国神社自体は18時まで開いているので、遊就館も同じかと思ったら、こちらは16時30分で終わりとのこと。膨大な展示品をほとんどすっ飛ばし、写真展「群青の追憶」の展示場へまっしぐら。

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途中の大展示室はさすがに飛ばせず…。これは艦上爆撃機「彗星」一一型。

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彗星のエンジン。水冷のアツタ発動機を採用していました。これはドイツのダイムラー・ベンツのパクリライセンス生産。ちゃんとライセンス料も払いました。

写真展は撮影禁止ですので写真はありません。代わりになるとは思ってはいませんが、私が過去に写した沈船の写真でも。(2018.9.1 ロタとサイパンのビデオからキャプチャーした写真追加)


ロタ島に沈んでいる松運丸
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上部構造物はほとんど崩れています。

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この写真の方向は船尾方向です。門型のデリックが左舷に倒れています。

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船内にも入ってみました。

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ランタン

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ボイラーと推進軸のチューブ

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船尾近く

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船尾

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浮上時に船尾方向から撮影したもの(実は中央の女性を撮影していた)。



チュークに沈んでいる富士川丸
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富士川丸はチュークのレックダイビングでは最もポピュラーなポイントです。この船には私は2回ほど潜っていますが、なぜか2回とも撮影に失敗しました。この写真の時ですが、当時私が使用していた水中ハウジングは、ピント合わせはマニュアルかオートかをセッティングによって変えるため、水中での変更はできませんでした。そしてこの時はハウジングのセッティングをオートフォーカスにして潜ったのに、カメラの設定がマニュアルフォーカスにしてしまったため、ピントを合わせることができませんでした。


パラオに沈んでいる船名不明の船
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戸村氏の解説によると「第5日正丸」の可能性が高いと書かれていました。

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電池が直列繋ぎになっています。

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弾薬箱

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飛行機のエンジン

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爆雷

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爆雷の貯蔵庫

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この荷物は何でしょうか

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ビール瓶?


サイパンの二式飛行艇
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恐らく操縦室の付近だと思われますが詳細不明

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主翼後部の機銃座と思われます。20mm機銃が残されていました。

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エンジンとプロペラ

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水平尾翼?

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別のエンジンとプロペラ

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主翼上面と胴体部分と思われます。



サイパンの松安丸

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船首部分

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戦後爆撃訓練の標的として使用されたそうです

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機関部の一部と思いますが詳細は不明です。



さて、靖国神社に行ったら是非見たいと思っていたものがあります。

それはこれです。
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灯篭? ではなくて、その下の方…

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こういう印が刻まれているのですが、これは「几号水準点」という明治初期の測量標です。詳しくはこちらのページなど。この水平線が標高を測る基準線でした。その後はドイツ式の標石タイプのものに置き換わっていきました。東京にはこの几号水準点が今でも結構残っています。

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潜水艦調査の講演会に行った

7/8に行われたラ・プロンジェ深海工学会が主催する講演会「海底に突き刺さる潜水艦は伊58潜水艦か?」に行ってきました。

長崎県の五島列島沖には、戦後アメリカ軍に接収された旧日本海軍の潜水艦が海没処分されて多数沈んでいます。その中の伊402は日テレの番組で詳しく調査されましたが、それ以外の潜水艦、特に伊58と呂50を特定しようとするプロジェクトが現在動いています。
http://blog.goo.ne.jp/laplonge
現在はサイドスキャンソナーによる調査が終わった段階で、その報告会が横須賀の記念艦三笠で行われました。

日テレの調査の時のデータから24隻の沈没船があることが推測されました。そのうちの1か所はゴーストでしたが、今回の調査で新たに1隻が加わりました。そのうちの2隻はなんと海底に突き刺さった状態であることが判明しました。

これは当日配布された資料からの抜粋です。
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No.24と採番されている船体です。約61度の角度で海底からそそり立っています。艦尾が上で逆立ち状態のようです。

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こちらは今年の調査で新たに発見された船体。ほぼ垂直に艦首を上に海底から立ち上がっています。

上の2隻はそのサイズから伊36、伊47、伊53、伊58の中のいずれかの可能性があります。

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五島列島沖に沈んでいる24隻の潜水艦。

今年8月にROVを使った画像撮影が行われるようですが、そのための資金をクラウドファンディングで集めようとしています。
https://academist-cf.com/projects/?id=47

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プロジェクトの一助となればと思い、Tシャツを購入させて頂きました。

なお、ソロモン海に沈んだ戦艦比叡捜索のためのクラウドファンディングも実施されている模様。
https://readyfor.jp/projects/12500

講演会の会場は記念艦三笠内の講堂。出席するためには三笠への入場料が必要でした。
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折角ですから艦内を色々と見学しました。前にも一度見てはいるのですが、ずいぶん昔のことなのでほとんど記憶がありません。

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長官(東郷元帥)用の浴室。

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東城鉦太郎画伯による最上艦橋の様子。身長などはほぼ実物大にして展示してあります。

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その最上艦橋に行ってみると、先ほどの絵の中で各人が立っていた位置を示すプレートが張られています。因みに奥から東郷平八郎司令長官、加藤友三郎参謀長、秋山真之参謀。

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先ほどの絵にも描かれていた測距儀。BARR & STROUD製の1.5m測距儀。

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最上艦橋から艦首方向。

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口径30cm主砲。もちろんレプリカです。

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91式徹甲弾。大和型の主砲用だそうです。

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日本海海戦のシミュレーションゲームがありました。センス無いですね(汗)。T字戦法を取ろうとして逆に取られてる(笑)

先ほどの写真にあった最上艦橋に自分が立つVRのコーナーがあって体験してみました。他の立っている人たちの顔を見てたらなんか笑いがこみ上げてきました。東郷長官が上げた右手を左に下ろす場面は案外素早くさっと下ろしていたのがイメージと違いました。その指図を受けて艦長が「とりかじいっぱい!」と言っていましたが「とーーりかーーじ  いっぱい」と号令して欲しかった。

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「三笠秘蔵 連合艦隊 艦隊コレクション」は平成30年3月31日まで開催中。
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戦艦陸奥に潜る(2)

今年もまた戦艦陸奥に潜りに行ってきました。

前回に潜ったのは2015年12月でした。なので凡そ1年半ぶりの訪問となります。しかし、今回行くまでにその間に潜りに行った回数はわずか2回。ダイビングはほとんどリタイア状態です。陸奥の沈没地点の水深は40mと深く、GWに大瀬崎で練習したとはいえ、ちょっと不安のあるスタートでした。

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今回は天候・海況に恵まれまして、ポイント上でもこのような鏡のような海面。写真の一番大きな島が柱島です。

その日の1本目は深いところに行けるというセオリー通り、まずは一番深い所にある主砲に直行です。
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砲口栓は前回同様砲口のすぐそばにありました。1本目はやはり余裕がなく、あまり撮影もしていません。2日目になってやっと慣れた感じです。

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話によると、熊本で大きな地震があった際に、船体切断面の壁面が崩れてしまったとのこと。

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前回撮影した写真と比べると確かに斜線を入れた部分が脱落しているのがわかります。

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1日目の2本目は艦橋を中心に。これは恐らく主砲前部予備指揮所の4.5m測距儀ではないかと思います。

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内部には伝声管とおぼしきものが見えます(ここから2日目)。

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手袋と、何かを入れる缶でしょうか?

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これは第2主砲塔に装備されている10m二重測距儀の開口部だそうです(左舷側)。

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艦橋の補強部材は重量を軽くするため随所で穴あき構造になっています。

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「会議室」と呼んでいる広めの部屋に入ってみました。船体はさかさまに近い状態なので、写真下方向が天井になります。

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外から見るとこんな感じ。

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舷窓のガラス窓。

前回時間が無くて訪問できなかった陸奥記念館に行ってきました。
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撮影した写真を調べるための資料が豊富にあります。こういう模型も結構参考になります。

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野外展示場にある14cm副砲。

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別の角度から見た副砲。

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スクリュー

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艦首の一番先端の部分。ここに菊の御紋が付いていました。

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帰りは広島から新幹線。広島駅ではお好み焼きを堪能しました。

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下館陸軍飛行場跡探訪

下館市の南にある関城町にはかつて旧日本陸軍が建設した飛行場がありました。今回はそこの探訪記です。

下館から南に関東鉄道常総線が走っています。下館駅の次の大田郷駅から、昔は支線が鬼怒川の方まで伸びていました(昭和39年廃止)。その支線の南側の広大な敷地を使って飛行場があったようです。元々は熊谷陸軍飛行学校の分教場として開設されたそうですが、途中から宇都宮陸軍飛行学校の分教場に変更となりました(参考サイト)。

飛行場周辺
(地理調査所(現国土地理院) 昭和29年発行5万分の1地形図『結城』より抜粋)
この地図はすでに終戦後で、飛行場用地は払い下げられていたのではないかと思いますが、飛行場の輪郭は掴めると思います。

飛行場周辺現在
(国土地理院 平成27年5月発行 1/25000地形図『下館』より抜粋:位置の書き込みは夜行虫)
現在のこの地域の様子です。地図上に「掩体壕」と記入した所には、飛行機を隠しておくための掩体壕が現在でも残っています。

掩体壕SW
(出典:国土地理院ウェブサイト:http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1より昭和22年撮影空中写真 USA-M606-62より抜粋)
上の地図で「掩体壕」と書いて囲んだところがこの空中写真の左下隅に当たります。道沿いに馬蹄形の構造物がいくつも並んでいるのが見えますが、これが掩体壕です。屋根が無い無蓋掩体壕というもので、土を盛って囲いを作っただけの簡単なものです。この写真の左半分の大部分は現在は家畜改良センターの敷地となっています。その敷地の周囲の道路沿いを歩いてみました。

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これは道が直角に折れ曲がる所の南側の掩体壕の一部です。このように今では雑木林のなかに埋もれて全体を俯瞰できるような場所はありません。

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上と同じ掩体壕の土手が道路に面した場所。

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直角カーブの少し北側の二つの掩体壕がこの茂みの中に隠れています。

カーブ曲がって北側1つ目の掩体壕の土手です。
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ここは先ほどの掩体壕よりは見やすい感じです。土手の感じがしっかり残っています。

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南から二つ目と思われる掩体壕の土手。南側の壁だと思います。
ここより北側の掩体壕はほとんど残っていないように思います(あっても一か所)。

こういう所の調査はこんな時期に行くものではないと後悔しました(笑)。藪蚊がすごく多いし。
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でもこんな光景も見られました。実は天然もののカブトムシが樹液を吸っているところを見るのは初めてだったりするのです(街灯に飛んで来た奴とかなら見たことありますが)。

さて次は分教場や格納庫やらがあった場所です。飛行場の北東隅になります。
分教場周辺
(出典:国土地理院ウェブサイト:http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1より昭和36年撮影空中写真 MTK619-C5-8より抜粋、目的位置等を加筆)
これは昭和36年撮影の空中写真ですが、丸い構造物がいくつか見られます。恐らく、弾薬庫や燃料庫なのではないかと想像しています。

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(出典:国土地理院ウェブサイト:http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1より平成20年撮影空中写真 CKT20082-C4-22より抜粋、目的位置等を加筆)
平成20年の空中写真です。昭和36年の写真に記した番号の3と4が残っているのが判ります。

1の場所です。
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今では家が建っていてその敷地内です。もしかしたらその残骸が残っている可能性は有りますが、今回は調査できませんでした。

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1の一つ北側の十字路にあるコンクリート塀。詳細は不明ですが飛行場当時からあるものかも知れません。疑わしいものは取りあえず撮影。

2の場所です。
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今はこの一角は太陽光発電に使用されていて見る影もありません。

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ただ、この太陽光発電所の敷地内に昔の井戸のようなものがあるのを発見しました。何時のものかははっきりしませんが、飛行場当時のものの可能性もあります。

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道路を挟んで向かいには茨城放送の中継所のアンテナが立っていました。

3の場所です。
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ここは最近まで残っていたようですが、残念ながら今は太陽光発電所が建設されてしまいました。

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もしかしたら昔の境界標?かと思って撮影しました。疑わしいものは取りあえず撮影。

4の場所です。
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ここも最近まで残っていたようですが、今は中古車の解体場になっていました。

5の場所です。
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ここは空き地なのでもしかすると何かが残っている可能性がありましたが、近くに家が建っていたりするので入るのは諦めました。何となく盛り上がっている個所がそれ???

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これは平成20年の空中写真の中に四角で囲った場所にあった昔のコンクリート塀と思われるもの。多分敷地の境界だったのだと思います。

その後は、浄水場の北側の小道をぶらぶら散策してみました。

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これは当時の境界標でしょうか?なにも掘られていないので詳細は不明です。

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ハグロトンボのオスです。近くにはメスも居ました。

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通称アリジゴク。ウスバカゲロウの幼虫の住家です。昔、飼育してウスバカゲロウが孵るのを観察したのを思い出しました。

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元飛行場の中心部を南北に走る道は「飛行場通り」と呼ばれています。

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飛行場通りの中ほどの公民館の敷地には靖空神社が立ってます。元々は分教場の敷地の方にあったものを移設したそうです。

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これは家畜改良センターの南東端に立っている詳細不明な建物。なんとなく昔の駅舎を移築したような感じ。トイレと待合室のような感じの部屋がありました。

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その敷地内にあった井戸。もしかしたら昔からのものかも知れません。

一通り見終わった後には、昨年の洪水で被害を受けてしばらく休業していたビアスパーク下妻に行って汗を流しました。
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プロフィール

夜行虫

Author:夜行虫
夜行虫とは天体撮影等、夜に出歩くのが多いことから名づけました。夜光虫の誤変換ではありません。海に潜ったり温泉浸かったりも趣味です。

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