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東北太平洋岸の道の駅

「東北道の駅スタンプラリー」では、一昨年は朝日コース、昨年は全駅制覇でしたので、2年連続で岩手・宮城の太平洋岸を回っています。それらの道の駅の中には、海岸沿いに建てられたものもいくつかあり、非常に気になっていました。

下記ページには、東北道の駅の被害状況が集約されてきています。

東北「道の駅」震災情報プラットホーム

上記サイトによれば、今回津波で建物が倒壊してしまった道の駅は

・岩手県 みやこ
・岩手県 高田松原
・宮城県 大谷海岸
・福島県 よつくら港

で、電話が不通でまだ確認できない個所もあるとのことです。また、地域住民の避難場所として使われているケースも多数あるようです。みやこと高田松原は車中泊で泊まったことのある道の駅で(高田松原は2泊しています)、よつくら港も車中泊の実験をしていた道の駅で、どれもすごく印象に残っています。

■道の駅「みやこ」
震災後の道の駅周辺。

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4/22追記:東日本大震災 読売新聞報道写真集には、道の駅に津波が押し寄せているその時の写真が掲載されていました。駐車場や魚市場は濁流に呑まれ、自動車や市場のコンテナが渦を巻いている様子を見て言葉を失いました。

震災前の姿
いもり池


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ご覧のとおり海沿いに建てられた道の駅です。海からは遮るものは何もありませんでした。確か近くには高台があったように記憶しており、幸い職員の方々は全員無事とのことです。結構車中泊するのには気に入っていた道の駅でしたので大変残念です(涙)

■道の駅「高田松原」
震災後の道の駅周辺

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高田松原は完全に水没していますね(涙)

震災前の様子
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広大な駐車場を有していて車中泊もしやすかった道の駅です。下段の写真のように、周囲にはレクリエーション施設が数多くあったのですが…。

■道の駅「大谷海岸」
震災後の道の駅周辺

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震災前の様子
DSC_0082.jpg
施設の名前に「海岸」と付くくらい海の間近でした。駐車場が狭くて車中泊は向いていませんでしたが、展望台があって海岸の様子がよく見えました。

■道の駅「よつくら港」
震災後の道の駅周辺

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震災前の様子
DSC_3002.jpg

DSC_3004.jpg
2009年に登録されたばかりの道の駅だったのですが…。車中泊の実験などをやっていて印象に残っている道の駅でした。福島県では、「ならは」が原発事故の避難地域。南相馬も屋内退避の地域に入っていると思います。

被災地の一日も早い復旧をお祈りいたします。
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3・11その後

当ブログにアクセスしてくる方のおよそ7割くらいがGoogleの検索で訪れてくれる方のようである。それでもユニークアクセス数で毎日50程度の寂れたブログなのであるが、前回取り上げた2万5千年の荒野がよほど世間の注目を集めたらしく、fc2のブログランキングでジャンル内ランキング1357014人中332位、サブジャンル内63649人中50位などという恐ろしいアクセス状況となった。情報を求めて当ブログにアクセス頂いた方には満足頂ける情報を提供できただろうか…。

さて、3月11日の地震発生から10日が経ち、未だ物資の不足は続いているが、どうやら生活も落ち着いてきた。まだこの先何が起きるかはわからないが、記憶が風化しないうちにこれまでの事を書き留めて置こうと思い、今回の文を記すことにした。津波で家族も家も失った被災者から見れば、こんな体験はどうということもないものだろうが…。なのでこれは純粋な「日記」である。未来の自分がこれを見返して、ああ、あんなことがあったなぁと思い出すためのものである。であるから、他の方が読まれてもあまり面白くはないかも知れない。

2011年3月11日14時46分。私は自宅でパソコンに向かい仕事をしていた。私はあるルートで、地震発生情報を携帯のメールで受けている。大き目の地震が発生したというメール着信音を耳にして、防災科学技術研究所Hi-netのホームページにアクセスしてみた。そこには三陸沖で記憶では確かM7.6程度の地震が発生したと表示されていた。その時まだ当方の住むつくばには主要動が到達する前であった。程無くして最初のS波が到着した。その揺れは最初想定内のものだった。M7.6であったなら、震源に近い地方では震度5強くらい、あるいは6弱くらいは行くだろう。津波も来るだろうなどと考えていると、揺れは収まるどころかどんどんと大きくなってくる。あちこちで物が落ちる音が聞こえ、目の前の液晶ディスプレイもパソコンラックから落ちそうになっている。逃げ出す準備のため、ベランダの窓を開ける。おかしい、三陸沖の地震、それもM7.6程度でここがこんなに揺れるわけはない。おそらくマグニチュードはもっと大きいのだろうと即座に思った(注)。建物はつぶれることなく持ちこたえ、揺れがひと段落したので周りを見渡す。見ると、パソコンを載せているスチールラックが倒れていた。元々このラックは安定性が良くなく、地震の時はアブナイと思っていた。最初の頃はあまり物を載せるのはよそうと思っていたのだが、物が増え、収納場所に困るようになるとそれも忘れ去られ、いつしかこのラックにも重たい本などが乗っている状態になっていた。載っていたデスクトップPCはもちろん横転。起動するか確認したいが、停電でしかもそれどころではない。続いて寝室兼書斎を見に行く。幸い倒れた本棚は無かったが、本棚の上に平積みにしてあった本が落下して、開いて置いてあったノートパソコンを直撃していた。無残にもキーボードのキーが飛び散り、最終的にZキーが行方不明、その他Fnキーのパンタグラフが破損し、キーが取り付けられない状態になった。幸い内部にはダメージは無いようだった。続いてダイニングキッチンを見に行く。調理用具をぶら下げる金属製の格子が壁から落下し、調理用具が散乱していた。また、砂糖の容器がシンクに落下して砂糖まみれになっていた。冷蔵庫は倒れないまでも位置がかなりずれて立っていた。テーブルの上からはオシロスコープが床に落下していた(私のダイニングキッチンは工作ルームでもある)。その他、写真を入れて飾っている額縁が落下してガラスが割れていた。

停電しているのでテレビを見ることはできなかった。私のところは地元のケーブルテレビ会社が普通のテレビ放送も配信している。どうやらこの設備は停電すると配信ができないようで、12Vで見ることができるポータブルテレビをアンテナ端子に繋いでも全く映らなかった。悲しいかな私の住んでいる所はワンセグの圏外である。情報を入手するにはラジオしかなかった。ラジオからは宮城県北部で震度7を観測したと報道していた。そうだろう、ここでもこんなに揺れたんだから。気象庁の発表するマグニチュードは7.9と報道されている。いや、もっと大きいことは間違いないだろう。すでにその時私は不確実ではあるが地震のマグニチュードが8後半であるという情報の一片を別ルートで入手していた。

岩手・宮城・福島には大津波警報が発令された。地震の規模とその位置から津波が来るのは確実だと思った。あとはその高さがどれだけ高くなるかが心配だった。ラジオに注意を傾けながら、部屋の片づけを開始した。水道の状況を確認すると断水していた。私の家では電話、ネットともにケーブルテレビである。電話は停電していても使えるというのが普通なのだが、ケーブルテレビによる電話やネットは停電で使用不能になるというのは今回初めて気が付いた。

15時15分、強烈な揺れに見舞われ屋外に退避する。外には同じように揺れを逃れて避難している人が何人か見られた。震源は茨城県沖だった。執筆時点でこの余震のマグニチュードは7.4。停電によって気象庁に観測データが入らなくなったのか、茨城県内の震度は現在でも不明な地点がほとんどであるが、恐らく私のところは震度5強程度はあったのではと思う。そして、これまでの大津波警報の区域に加え、茨城県や千葉県の太平洋側にも大津波警報が発令された。

16時頃。津波被害の様子が入り始めた。地震のマグニチュードも8.4と訂正されていた。大津波警報も本州・北海道の太平洋側のかなりの地域に出されるに至った。すでに宮古や釜石では4mを超える津波観測情報がもたらされている。横浜の実家に無事を伝えたくとも携帯では繋がらず。水道をひねってみるとチョロチョロと水が流れ落ちる。急いでポリタンクを準備し水の備蓄を開始した。ガスはプロパンガスのため止まることはなかった。地震で自動的にガスが止まる装置は作動していなかった。

17時頃。日没も迫り部屋の片付けを急ぐ。ラジオでは各地で「壊滅状態」という言葉で被害の様子が伝えられる。残念ながら言葉による伝達だけではどれだけすごいことが起こっているかは伝わって来ない。地震の規模が8.4から8.8に訂正される。ようやく横浜の実家に電話が繋がり無事である報告をする。暗くなる前に照明の構築をする。いつも車中泊に使用するサブバッテリーを使用し、100Vインバータで電球を点灯する。その後、タッチスイッチが動作せず、使えていなかった蛍光灯スタンドを点灯するのに成功し、かなりの明るさを確保できた。念のためLEDランタンも車から降ろして準備した。いつ出かけても良いように、常にバッテリーは満充電状態にしてあるのが幸いし予備は十分にある。しかも外には太陽電池パネルを設置してあるので、天気が良ければ昼間これで充電することも可能だ。携帯電話の充電もこれでばっちり。思うに、太陽光発電+バッテリー+100Vインバータというのは災害時に大いに役に立つことが実証されたわけだ。今普及している家庭用太陽光発電では、余剰の電気はすべて電力会社に売電してしまい、夜間停電時には無力である。今後はバッテリーによる蓄電システムが普及して行くかも知れない。

19時頃。食事を作る。電気炊飯器でご飯を炊こうかとも思ったが、バッテリーの電気節約と米の欠乏のため思い止まる。ポリタンクに貯めた水でお湯を沸かし、カップラーメンと缶詰という質素な夕食に。ソニーウォークマンのワンセグ機能でチャネルサーチをすると、1局だけ受信できるところが見つかった。NHK総合だった。小さい画面で迫力は無いが、すさまじい津波の破壊力を目の当たりにし、言葉を失う。

21時頃。福島の原発で炉心を冷却するシステムが停電により機能していないと発表されている。ゴルゴ13の2万5千年の荒野を思い出す。その後「原子力緊急事態」が発令され、福島第1原発から半径3km以内の住民に避難指示が出された。この頃になって、それまで辛うじてメールだけは受信できていた携帯が圏外となる。恐らく、近所の基地局の非常用バッテリーが底をついたのだろう。ワンセグテレビも再び圏外になった。近所のコンビニに行ってみたが、すでに店じまいした後だった。津波は、福島の相馬での「7.3m以上」というのが公式記録では最高なようだが、そもそも検潮所が破壊されて記録そのものが残っていないようだ。国交省が岩手などの港の20km位沖に設置しているGPS波浪計によると、釜石沖では15時12分に6.8mを記録しているらしい。沿岸ではその高さは2倍位にはなるのではないだろうか。岩手県の多くの箇所では、最大の波高が観測されたのは15時20分頃だった。地震発生から30分以上経っている。逃げる時間は十分とは言えないが、地震発生後即座に行動していれば避難できた人は多いと思う。なぜこれほど逃げ遅れた人が出たのか、今後の詳しい調査が望まれる。

深夜~翌朝。駐車場では車の中で一夜を過ごそうとしている人が何人か見受けられた。私も車の中で過ごそうかとも考えたがやめた。寝ている間にも余震は続き、「眠れぬ一夜」を過ごすことになった。午前4時頃にはなんと長野県北部で震度6強の地震が発生。震度6強を記録したのは長野県の栄村だそうである。ここには切明温泉という温泉があり、河原を掘ると湯が沸いてくることで有名である。非常に雪深いところであるが、冬季も通年営業していて、私も村営バスに乗って1月に2度ほど行ったことがある。被害が軽微であることを祈りたい。

12日は快晴の良い天気だった。早速一晩使用したバッテリーをサブバッテリーボックスから取り外し、太陽電池パネルからの出力に繋ぐ。バッテリーの開放端子電圧は12V程度に低下していた。27Wの蛍光灯を一晩点けていたのでかなり減っている。使用前の状態に復帰することは難しいが、他に予備のバッテリーもあるので今晩も問題ないだろう。

12日午前9時。お米が底をついているので買い出しに出かける。近所のスーパーは通常営業はしておらず、入り口付近でわずかな品を売っているだけだった。そこでいつも北条米を買うJAつくばの直売所に行ってみる。しかしここは営業していなかった。やけくそで下妻のジャスコまで行ってみる。やはり近所のスーパーと同じで、駐車場には沢山の人が群れていた。行きがけに照明の点いているコンビニが1軒あったのを思い出し、そこに向かう。その店は営業中だったが、めぼしい商品はすべて売り切れていた。米も無かった。結局買い出しに出た成果もなく帰宅せざるを得なかった。やはり電気が復旧するまではスーパーはダメなんだろう。残り少ないガソリンを浪費するだけで終わった。

12日11時頃。停電が復旧した。早速テレビをつけると津波で壊滅した被災地の状況が繰り返し報道されている。やはりラジオで聞くだけの情報に比べ、映像の持つインパクトはすごいと思った。早速横転したパソコンが起動するか調べてみる。電源スイッチを入れると、普段しないような変な音が内部から聞こえてきて一向に起動する様子はない。パネルを開けてディスクの配線を抜き差ししてみたが状況は変わらない。ハードディスクがお亡くなりになったようだ。これが当方で一番大きな被害と言えるかもしれない。

13日。近所の公園で水の配給が始まった。消防署の職員が手押しポンプで水を出してくれている。午後からは故障したPCの復旧には時間がかかりそうだということもあり、新しいノートPCを調達にでかける。これまでのノートPCはキートップが飛んだだけだったが、なんといっても年代ものである。MHz時代のセレロンチップ搭載である。とても仕事に使用できる代物ではない。どうせ近々買い換えようと思っていたものだ。秋葉原に行こうとしたが、TXはいつまた運休するかわかったものではない。帰宅難民になるのは御免こうむる。車で行こう。しかし常磐道は通行止めである。そして国道6号線で向かうことに。出発時点でガソリンがかなり心もとない状態だった。途中のスタンドで入れればいいやというのが甘い考えだった。通過するどのスタンドも休業中。数少ない営業中のスタンドには1キロ以上の列ができていた。牛久沼のあたりでガソリンの警告灯が点灯。これ以上先に進んでもスタンドは無いと判断してつくば方面に「転進」の決断を下す。帰り着くまでは結構ひやひやものだった。

この日、気象庁の本震マグニチュードが9.0に改定された。スマトラ地震の規模とほぼ同じものとなった。いくつかの震源域が同時にすべる「連動型」の地震は、東海・東南海地域で想定されてはいたが、東北日本の太平洋プレートの沈み込みではまったく想定外だった。そのため、観測や研究の予算の多くが東海・東南海と新潟・北陸地方に集中しており、東北地方のプレート沈み込みに対する特別な研究はほとんどなされていなかった。以下のリンクは政府の地震調査研究推進本部の作成した「強震動予測地図」である。2010年から今後30年間に震度6強以上の地震に見舞われる確率は、東北地方の多くの場所で0.1%以下と発表されていた。
http://www.jishin.go.jp/main/chousa/10_yosokuchizu/ka_bunpu.pdf
大自然の前には所詮今の人間の知恵などでは到底太刀打ちできないものだと、改めて思い知らされた。

未だお米は調達できておらず、夜寝る前に次の日の朝のためにホームベーカリーでパンを焼くセットをする。1か月前に買ったばかりの機械だ。明日は「白い日」だが、そのためのブツを調達したついでに強力粉やドライイーストを購入していたのが幸運だった。執筆時点でスーパーを見ているとドライイーストはほとんど売り切れているみたいだ。

14日朝。家の近所のガソリンスタンドから長い車の列が伸びている。どうやらこの日は営業をしているらしい。早速最後尾につく。仕事より私の生活優先だ。恐らく列の長さは500m程度だろう。1時間ほどで自分の番になり、2000円分を給油する。これだけ並んで2000円分…。先が思いやられるが、まずは車で活動ができるようになって嬉しい。なお、パンはうまく焼けていた。

14日昼。ガソリンも補給できたことで再びお米の調達に出発する。仕事より私の生活優先だ(笑)。スーパーはどこを見ても売り切れ状態なので、JA土浦新治直売所に出かける。ここは注文に応じて玄米から精米してくれる。行ってみると、別に行列もできておらず、普通にお米を売っている。私の前に買っていた人は50kg以上買っていたと思う。さすがはJA、GJ。なお、ここには「まほら庵」という蕎麦屋が併設されている。私の近所ではここが一番うまい蕎麦屋だと思っている。

15日夕刻。未だ調達できていないノートPCを手に入れるべく、K's電器に向かう。途中にあるガソリンスタンドは休業中だったが「明日9時より営業予定」という張り紙を目撃した。K's電器は電池とか懐中電灯しか販売していなかった。またも調達失敗。この日22時31分には、今度は静岡県で最大震度6強の地震が発生する。まさに震災列島である。この震源は富士山に関連する一連の地震発生域の最下部で生じたようである。箱根でも群発地震が発生している。非常に不気味である。

16日午前6時。朝9時から営業予定のガソリンスタンドに向かう。行く前に後部座席は取り外し、車中泊モードにしておいた。この時間でどれだけ車が並んでいるかわからなかったが、開店までは車が進むことはない。寝袋に入って寝ていれば良い訳だ。開店してから並ぶのではこうは行かないし、自分の番が来るまでガソリンが売り切れない保証もない。スタンドに着くとすでに車の列ができていた。しかし、台数はまだ3・40台だったと思う。最後尾に着けるとすぐに後部に移動し、寝袋に潜り込んだ。開店後、給油するまでは20分ほどだった。ここのスタンドはmax20Lの販売だった。

17日。水道が出始める。まだ完全復旧ではないようで、水圧がかなり低い。

19日。秋葉原までPCの調達に出かける。TXはすべて各駅停車になっていて時間がかかった。東芝のダイナブック、Core i5-480M搭載でHDDは640GB。15.6型のLED液晶。当たり前だが、今までのノートPCに比べて格段にスピードが速い。これで遅れている仕事がはかどってくれればいいのだが。なお、修理に出したデスクトップPCは、メーカーの「被災者サービス」により修理代が3割引き、送料無料になるようだ。

(終)

(注)
規模の大きな地震のマグニチュードをP波だけの情報で決定するのは難しいのである。
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2万5千年の荒野

タイトルはコミック「ゴルゴ13」の作品タイトルです(単行本第64巻)。1984年の作品ですが、今問題になっている福島第1原子力発電所の事故をまるで予見していたような内容になっています。
ストーリーはこうです。
舞台は米国L.A.北80Kにある完成間近のヤーマス原子力発電所。完成を急ぐ突貫工事で、誤って圧力容器の水蒸気逃し弁にクレーンをぶつけてしまいます。逃し弁のレントゲン検査を主張するバリー技師を無視して、電力会社は通常運転を開始してしまいます。そして運転開始後まもなく停電が発生します(原発は外部から電気を受電しています)。すぐにディーゼル発電機の始動を試みますが、不調により失敗。原子炉は自動的にトリップします。福島第1原発と同じように圧力容器内の圧力が上昇し始めます。その後ディーゼル発電機が回復し、ポンプが動作始めますが圧力が下がりません。緊急冷却水の注入も失敗。原因は圧力容器内の高い圧力により、注水が失敗しているためでした。福島第1原発ではベントを開いて圧力を逃がしたのですが、こちらはクレーンをぶつけてこれも壊れてしまっていました。冷却水喪失が目前に迫る中、バリー技師はゴルゴ13に圧力配管を銃で打ち抜くことを依頼し、容器内の圧力を下げて冷却水を注水することを試みる… という内容です。作品には、原子炉建屋に入ろうとしてドアを開けた瞬間に水素爆発が起こるという描写まであります。つくづく現実がこの作品をトレースしているように思えて来ます。なお、作品タイトルの2万5千年とは、核分裂生成物であるプルトニウム239の半減期のことです。

福島第1原子力発電所にはPR館というのがあり、原子炉容器などの模型を見ることができました。今後再開されるかどうかわかりませんが・・・

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これは燃料棒を収納する原子炉圧力容器の内部の様子です。縦に何本もある筋状のものが燃料集合体です。燃料集合体はシュラウドという円筒状のステンレス容器に格納されています。

福島第1-2
原子炉格納容器の断面。人が出入りする扉が見えています。

福島第1-3
格納容器の遮蔽壁の断面。

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圧力容器の断面模型。下の方の沢山の棒が制御棒を挿入するためのものです。

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原子炉収納容器の断面。上部の赤い配管が主蒸気配管、青い配管が給水配管。これらが見えている部分が上部ドライウェルという場所になります。下部の水色部分が水に浸かっている部分で、その内側の水の無い場所が下部ドライウェルという場所です。格納容器のコンクリートの厚さは2mあります。

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原子炉格納容器に出入りする扉です。

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炉心の状態を再現した模型。青い光はチェレンコフ放射光をまねたもの。

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こちらは福島第1原発で発電された電気を新福島変電所へ送電する500kV双葉線。

F1-9.jpg
同上

福島の原子力発電所が再開されるのは恐らくかなり先になるでしょう。広野火力発電所やひたちなかの火力発電所も被害を受けているようです。今年の夏の電力供給は大丈夫でしょうか。

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いや、まいった…

今回の地震で被災された方には心からお見舞い申し上げます。

…という当方も被災者の一人なんですが…

いつもこの記事を書いているパソコンを収納している棚そのものが倒れまして、パソコンが起動不能になってしまいました。ハードディスクがいかれた様です。本棚からは大量の本がこぼれ落ちまして、運悪くそれが今記事を書いているノートPCを直撃。キートップがいくつか飛んでしまいました。幸いこちらはキーが取れただけで済みましたので、今こうして記事を書けている訳です。

今日の昼過ぎまで停電しておりまして、昨夜は電気のない一夜を過ごしたのですけど、車用のサブバッテリーシステムを活用して蛍光灯スタンドが使えましたので、周りの家がすべて明りが消えて真っ暗な中で、私の家からは明りが漏れていたことでしょう。今日は天気が良くて、太陽光発電での再充電も十分あったので今晩の体制も完璧でしたが、やっぱり停電が回復したほうが嬉しいです。

さて、起動不能のPC…。どこまで復旧できるかな…
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歴史ある送電線路を巡る旅(4) 水戸線

調子に乗って進めているこのシリーズもはや4回目。時たま現存しているふる~い鉄塔を発見すると萌えますねぇ…
今回は水戸線を取り上げます。水戸線と言ってもJR水戸線ではないので、電車の検索で来た人はごめんなさい。

水戸線は下館変電所~西水戸変電所の間を結んでいる66kVの送電線です。もともとは茨城県北の水力発電所群で発電された電気を笠間や下妻方面に送るために建設されました。茨城電気が勢力を拡大しつつある明治の末期、笠間方面を傘下に置く笠間電気と言う電力会社がありました。前身である笠間電灯所が設立されたのが明治43年で、笠間電気はその資産を引き継ぎ明治45年6月に設立しました。この頃はどんどん電気の便利さが認められて広まって来た頃でもあり、すぐに電力事情が逼迫するところとなります。そこで、笠間電気は茨城電気から電力を融通してもらうことになります。その目的で建設された送電線が今の水戸線の母体です。大正11年に笠間電気と茨城電気(その頃は茨城電力と言う名前)は合併し、やがて東部電力として集約されていきました。送電の母体が茨城電気系だったことから、笠間や下妻は、当時は60Hzだったと思われます。

当時は水戸方面から下館方面に送電する形でしたが、今では逆に水戸方面へ電気を送る形になっています。当時の雰囲気で話を進めたいので、鉄塔番号は老番→若番で辿ることにします。

500kV碍子
↑これは西水戸変電所に立つ195号鉄塔です。

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↑西水戸変電所を出ると、北見線・湊線と仲良く並行して常磐自動車道を横断します。右側の2回線鉄塔が水戸線です。

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↑常磐自動車道を超えたところで、水戸線はほぼ90度西側に折れ、北見線・湊線は90度東側に折れます。昔は両方の送電線は折れ曲がることなく真っ直ぐ繋がっていました。

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↑188号鉄塔。昭和62年5月建設。

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↑147号鉄塔と老番側。笠間市日草場にて。このあたりの送電線は平成になってからのものが多いようです。

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↑昭和11年3月建設の118号鉄塔。笠間市稲田のあたりです。戦前の鉄塔が残っているのはすごいですね。ペンキはかなり剥げていて、プライマーがあちこちに顔を出しています。鉄骨も今のモノに比べると強度的に弱いような感じですね。この年代の鉄塔はこのあたりから岩瀬のあたりまで連続しています。

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↑95号鉄塔の番号札。昭和11年3月建設。高さ20m。

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↑鍬柄山(笠間市と桜川市の堺)を超えていく水戸線。桜川市方面から笠間方面を撮影。これはすべて昭和11年の鉄塔です。花崗岩の採石場があちこちにあり、水戸線はその上を通過していきます。

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↑桜川市と筑西市の市境に近い44号鉄塔。平成19年3月建設。桜川市西部の水戸線はかなりの塔数がつい最近建て替えられたようです。部分的に建て替えられたりすると、旧鉄塔の番号と不整合が生じるため、水戸線ではあちこちで鉄塔番号の飛びが見られます。

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↑36号鉄塔と37号鉄塔の間で、500kVの福島東幹線と交差します。

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↑19号鉄塔と老番側。歴史ある送電線は、まだ民家や工場などが立つ前から存在しているので、真っ直ぐに伸びていることが多いのです。新しい送電線はあちこちで折れ曲がります。

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↑真岡線7号鉄塔に併架される水戸線。意味不明な曲がり方ですね。鉄塔の右半分が水戸線、左半分が真岡線です。

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↑一つ前の写真の真岡線の若番鉄塔(6号鉄塔)です。笠間市と桜川市にかけて残っていた昭和11年3月建設の鉄塔と同じ建設年月の鉄塔が下館にも1基だけ残っていました。おそらく昔の水戸線はこの鉄塔を使っていたのではないでしょうか?

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↑下館変電所脇に立つ水戸線1号鉄塔。昔の地形図を参照しますと、水戸線は下館変電所には引き入れられていなかったように見えます。当時、下館変電所には小山の方からの電気を送電する現在の下館線に相当する送電線が繋がっていました。栃木方面の水力発電所の系統です。そしてそこから今の筑波線が土浦方面に電気を送っていました。これらは東京電灯の系列でしたので50Hz、水戸線は60Hzだったと思われるので、直接接続はできなかったのでしょうね。水戸線に相当する当時の送電線はそのまま現在の筑舘線の経路で下妻方面に行っていました。以前筑舘線を追跡した記事はこちらです。

一応「続く」ですが、次回はどのテーマでやるかまだ決めていません。前回出てきた「勿来線」というのは、勿来どころかいわき湯本のはるか先まで行く長距離路線だったようです。これを追跡してみたい気もしていますが、如何せん遠い…
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花粉光環

今年も花粉の季節がやってきました。
私はつい数年前に花粉症を発症してからは毎年悩まされています。

太陽が雲にかかった時に太陽の周りに環がかかって見えることがありますが、花粉が空気中に大量に飛んでいると、同じように太陽の周りに環がかかって見えることがあります。これを花粉光環と言います。今日の日没時に綺麗な花粉光環が出ているのを目撃しまして、撮影することができました。

DSC_4738.jpg

DSC_4740.jpg

撮影日:2011.3.2 17:31
撮影場所:茨城県笠間市

夕暮れ時なので赤い色が強いのですが、本当は虹色の環なのです。
これを撮影した後、急いでマスクを装着しました。

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フジテレビの捏造情報

私は昼食を自宅で食べている。その時テレビをつけて見ているが、大抵はテレ朝、TBS、日テレのどれかを見ている(あまりに下らない番組しかない時は撮り溜めたビデオを見ているが)。フジテレビの笑っていいとも!とかは見ていないのだが、噂によると捏造情報が流されているらしい。

まず、好きな鍋ランキングと言う企画があったらしい。世代別に統計を取っているようなのだが、すべての世代で「キムチ鍋」が1位になったそうだ。どこかの世代で1位になることはあるだろうけれど、すべての世代で1位を独占と言うのはちょっと考えづらいものがある。なんだかなぁと思っていたところ、今度はピザハットの人気ピザランキングという企画で「特うまプルコギピザ」なるものが1位になったそうである。さすがにそれは無いだろうと思い、私も某掲示板に出ていた方法で、ピザハットのホームページでのランキングを調べてみた。近所の店舗をいくつか検索してみたが、プルコギピザが1位になっている店舗は無かった。それどころか、10位内にもランクインしていない店舗がほとんどである。明らかに捏造された情報が流されていると思って良いだろう。
因みに当方の近所の店舗の順位は以下の通り。

1. モッチリーノ4
2. 贅沢カマンベール
3. ジェノベーゼ
4. めちゃマヨミート
5. 和風マヨ明太
6. たっぷりナスベーコン
7. パペロニミックス
8. トマミート
9. ツナたまコーン
10. フレンズ4
11. ゴージャス4
12. 特うまプルコギ

なお、ピザハットの公式順位ではプルコギピザは5位とのことである。

フジテレビはサッカーの日韓戦を敢えて韓日戦と言い換えたり、世界フィギュア選手権で浅田真央が優勝して表彰台に立って流れた君が代やウィニングランをカットして(キムヨナの韓国国歌はカットせず)報道したりという前科があり、すでに日本の放送局とは呼べない状態である。フジテレビがK-POPアイドルのCD版権を持っているからとか色々言われているが、電通に大量の朝鮮マネーが流れ込んでいるという噂もある。あるある大事典の時の捏造はテレビ局側もある意味被害者と言えなくもないが、こちらの場合はほぼ確信犯である。ブームを煽って金儲けしようという魂胆がみえみえなのである。
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プロフィール

夜行虫

Author:夜行虫
夜行虫とは天体撮影等、夜に出歩くのが多いことから名づけました。夜光虫の誤変換ではありません。海に潜ったり温泉浸かったりも趣味です。

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