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養老渓谷とダムカード

先日、ダムカードを貰うついでに養老渓谷と大多喜に行ってまいりました。

千葉県内でダムカードを発行しているダムを管理しているのは、千葉県の県土整備部というところです(利根川河口堰を除く)。1か所を除いて、土日などの休みの日には貰えないところばかりです。ダムカードを貰うだけなら1日で十分なんですが、温泉に行ったり色々まわってみたりするので、1日半の行程で行ってきました。

初日は昼で仕事を切り上げ、午後2時頃に出発します。まず向かったのは矢那川ダム。木更津市街地からそれほど遠くないところにあるアースダムです。

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この手のダムは丘のようなもので、遠くから見ないと全体像が掴めません。

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近くに造成された「かずさアカデミアパーク」という企業用地の建設で、川に流れ込む雨水の量が増えることによる洪水対策として建設されました。ダム自体の建設目的は治水のみですが、付近は公園のようになっていて、憩いの場のようになっています。

このダムのダムカードはこの場では貰えず、君津市の総合庁舎まで貰いに行かなくてはなりません。

初日のダム訪問はこれでおしまい。道の駅ふれあいパーク君津で車中泊します。晩飯は、青森の旅行で買ってきた「リンゴカレー」。
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今まで食べたご当地カレーの中では上位にランクして良いおいしさでした。

ふれあいパーク君津は片倉ダムのすぐそばにあります。ダムカードは隣の亀山ダムに行かないと貰えないのですが、せっかくですから見学します。

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貯水量的には比較的小さめのダムですが、ダムの高さは千葉県が管理するダムの中では1番高さがあります。

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常用洪水吐から流れ落ちる水が木目のようになって綺麗でした。

つづいて向かったのが亀山ダム。千葉県が管理するダムでは最大貯水量のダムです。
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植木でダム名を作るのが千葉県の趣味のようです。

このダム湖には伝宝洞という、昔人為的に川の流れを変えるために掘られた洞窟があります。今その場所は川ではなく、湖の一部になっていて、ボートでのみ行くことができる場所です。電動ボートを借りて行ってみようかと思い、レンタルボート屋で話を聞いてみると、今の時期は水量が多くて、伝宝洞の手前で進入禁止になっているとの事。残念でしたが、行くことができる時にまた来てみたいです。

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鳥居島と言うそうです。この辺りはブラックバスのポイントのようで、たくさんの釣り人が居ました。

最後の高滝ダムに向かう前に、養老渓谷と養老温泉に寄りました。
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粟又の滝です。川面には泡が沢山浮いていることから、泡=粟という意味があるんだそうです。この泡は、温泉成分によるものだという説明がありました。

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紅葉の時期はさぞきれいなんでしょうね。

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養老温泉は日帰り入浴でも1000円と割と強気です。喜代元という旅館で入らせてもらいました。ここは900円でした。東京湾の周囲には良くある黒湯です。

最後に向かったダムが高滝ダム。
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ここは史料館があって、2階がレストランになっています。ダムカードはそこで貰えました。ここは土日でももらえるようです。

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お約束のダム名植樹。


次に、大福山に登ってみます。ここはある天文系のサイトで、頂上が星見スポットとして出ていた為です。行ってみると・・・
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頂上にはこのような展望台があります。

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確かにここからの眺めは最高で、特に南側にはなにも遮るものがありません。しかし、ここは歩いてしか来れませんので、望遠鏡を持ってくるには都合が悪いです。

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とすると、ここのテーブルの脇に望遠鏡を立てるしかないです。定員約2名ほど。北側は山の頂上が視界を遮っています。はたして北極星は見えるのやら。ちょっとがっかりした場所でした。

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最後に「房総の小江戸」大多喜の街も見て回りました。写真は豊乃鶴酒造の建物です。国指定登録有形文化財なんだそうです。

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豊乃鶴酒造の酒蔵です。ここで地酒の大多喜城の特別純米酒を買って帰りました。因みに大多喜城は本多忠勝の築城です。

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江戸時代の大商家「渡辺家住宅」。重要文化財指定だそうです。

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ムーミン列車で有名ないすみ鉄道。

これにて千葉県のダムカードはコンプリート

利根川河口堰
利根川河口堰

矢那川ダム
矢那川ダム

片倉ダム
片倉ダム

亀山ダム
亀山ダム

高滝ダム
高滝ダム

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茨城線


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写真は、那珂川沿いにある道の駅かつらの裏の無料キャンプ場です。
時々、車中泊で泊まったりしています。

この近辺には茨城線が通っています。
茨城線は昭和20年の戦時中に建設された結構歴史ある送電線です。猪苗代の水力発電所からの豊富な電力を茨城県内に導きいれるために建設されたと思われます。

御前山には三王山という山があります。
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茨城線110号鉄塔。

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112号鉄塔の周りでは山羊が放牧されていました。

ここから若番側では鉄塔の建て替えが進んでいます。

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新旧の107号鉄塔です。古い鉄塔は高さ28m、新しい鉄塔は48m。

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古い鉄塔の番号札です。建て替えをするためなのか、ペンキの塗り替えが全然されていませんね。

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できたてのほやほやの新107号鉄塔の番号札。

ここに至る途中で通った農道が川と交わる部分です。
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道の上を川が流れています。増水時に沈んでしまう橋は沈下橋と言いますが、こういう橋でないものは何て呼ぶんですかね。

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奥側は茂木線を分岐する104号鉄塔(昭和51年7月)です。こちらは古い鉄塔もそのまま残るのかも知れません。手前は新しく建設中の鉄塔です。


茨城線の1号鉄塔は栃木県の片岡開閉所内にあります。
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この鉄塔では猪苗代新幹線から分岐した架空線を受け取っていますが、そのジャンパー線がブロッキングコイルに繋がっていません。1号鉄塔はこの一つ下流にあります。
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なので、先ほどの鉄塔は1-0鉄塔でしょうか?

では、茨城線に電気を送っているのは終着点の茨城変電所でしょうか?

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那珂変電所の近くにある茨城線185号鉄塔です。この鉄塔で戸崎線という2導体の送電線を分岐します。戸崎線は分岐後東海原子力線の鉄塔に併架されて那珂変電所に至ります。茨城線老番側は紅白鉄塔の常陸那珂火力線に併架されて茨城変電所に至ります。

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那珂変電所で東側です。真ん中の鉄塔が東海原子力線の鉄塔で、下段に戸崎線が併架されています。

那珂変電所には、275kVの送電線が4路線と154kVが3路線接続されています。275kVの常陸那珂火力線、東海原子力線が東側から、那珂線と阿武隈線が西側にそれぞれ繋がっています。154kVの西水戸線、西茨線、戸崎線が東側から引き出されています。上の写真の紅白鉄塔は常陸那珂火力線の41号鉄塔、真ん中は東海原子力線の43号鉄塔(戸崎線併架)、左側は西水戸線の1号鉄塔です。
このように那珂変電所には豊富な電力が集まっていますので、茨城線に電気を送り出しているのは那珂変電所と戸崎線と考えて良いのではと思います。


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先ほどの茨城線185号鉄塔の若番側を見た風景です。このような田園地帯を通っていく茨城線はなんとも趣があります。逆に老番側は、
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こんな風に常陸那珂火力線に併架されてしまい、つまらないです。
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歴史ある送電線路を巡る旅(5) 筑波線

筑波線の母体となる送電線は昭和初期に建設されたもので、第1級の古さという訳ではありません。土浦には海軍航空隊をはじめ、重要な軍事施設が置かれていたためか、かなり早くから電気が引かれていました。最初は今の霞ケ浦線~小野川線というラインの延長線が越谷の方までつながっていたようです。それに加えて、下館方面から土浦に電気を送ろうとした送電線が今の筑波線の母体です。

下の地図は、大日本帝国陸地測量部が発行していた明治38年測量昭和4年修正測量の5万分の1地形図「土浦」から抜粋したものに、送電線(高圧)をトレースしたものです。
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緑色の送電線以外は、ほぼ現在の送電線のルートと同じになっています。因みに現在の路線名で言うと、水色が現在の高浜線と土浦線、赤色が高浜線、黄色が立の越線です。緑色は現在対応する送電線は有りませんが、この延長が今の霞ケ浦線にそのまま繋がるようです。地図に「変電所?」と記したところには、現在土浦変電所という小さな変電所がある所です。昔の地形図にはそこに変電所の記号は有りませんが、もしかしたら省略されているのかも知れません。

さて、話を土浦変電所から始めたいところなんですが、この辺りを撮影した写真がごっそりどこかに行ってしまいました 土浦線は環境調和型の鉄塔で土浦の街中を通って行きます。そして分岐元の高浜線で北西に向きを変え、霞ケ浦変電所に至ります。

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写真は高浜線2号鉄塔(手前)と1号鉄塔(その奥)です。高浜線は下段に神立線を併架しています。霞ケ浦変電所は良く訪れる変電所で、いつ行ってもわくわくさせられる変電所です(笑)

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奥の比較的背の高い2本の鉄塔は、右が高浜線3号鉄塔、左が筑波線2号鉄塔になります。筑波線は上段に大穂線を併架します。手前の背の低い鉄塔が筑波線1号鉄塔です。上の昭和初期の地図には霞ケ浦変電所の記載はありません。昔は高浜線と筑波線はひと繋がりの送電線だったのです。鉄塔番号札によると、大部分の筑波線は昭和47年の建設になっています。初期の形を残している鉄塔は残念ながら1基もありません。

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筑波線3号鉄塔はドナウ型です。上に築南線が通っているためでしょう。

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14号鉄塔付近で再び築南線と交差します。この辺りは障害物も無く、一直線に筑波山の麓まで伸びています。

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筑波線の19号鉄塔で大穂線と別れます。大穂線はこの先大穂変電所に至り、更に路線名が変わり、つくば市北部の工業団地に電力を供給しています。

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つくば市小田のあたりを一直線に通過していきます。

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36号鉄塔は撚架鉄塔でした。

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38号鉄塔は分岐鉄塔なんですが、何も分岐していません。ちょっと古めの地形図を見ると、築南線の鉄塔に繋がる線を分岐していたようです。築南線側の分岐鉄塔付近は6回線鉄塔になっていますが、現在は4回線しか使用されていません。

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筑波山と筑波線42号鉄塔。

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53号鉄塔で明野工団線を分岐します。

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55号鉄塔では上大島線を分岐します。上大島線は鉄塔1基で筑波変電所に至ります。筑波変電所は一見すると何の変哲もない配電用変電所ですが、昭和4年の地図にも記載があるかなり歴史ある変電所のようです。筑波線はこの辺りから4回線鉄塔になります。

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57号鉄塔でINAXの工場に分岐した後、上大島の工業団地内を折れ曲がりながら進んでいきます。

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夕暮れ時の筑波山と筑波線。63号鉄塔付近から撮影。

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70号鉄塔にて。2つめの撚架鉄塔です。

■ちょっと寄り道
筑西市の旧明野町の猫島という所には、安倍晴明生誕の地と言われている所があります。晴明神社とか晴明井戸とかいうのがあるそうですが、いずれも個人のお宅の庭にあるそうで、自由に入ることはできません。明野町が造った晴明橋公園という所に、安倍晴明生誕の地の碑があります。
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こんな説明書きがあります。
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ここには安倍晴明がlここで生まれたとはっきりとは書いてありません。阿倍仲麻呂の遣唐使仲間の吉備真備が、渡航先で得た陰陽道秘伝の書をこの地に住む阿倍仲麻呂の子孫に渡した。その子孫こそが安倍晴明である、という内容でした。

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すごくこじんまりとした場所ですので、ちゃんと場所を確認していかないと探すのに苦労します。
N36.278852,E140.041302

さて、筑波線に戻ります。

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73号鉄塔では明野線を分岐します。明野線は更に真壁線を分岐しています。

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79号鉄塔から老番側。遠くに福島東幹線が見えてきました。

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福島東幹線と交差する部分は背の低い門型鉄塔となっています。

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84号鉄塔になります。建設は昭和56年となっていました。福島東幹線の建設より後です。この鉄塔が出来る前はどうなっていたんでしょうね。

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福島東幹線をくぐり抜けるとまもなく小貝川の上をまたぎます。

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小貝川を超えると、旧下館の市街地です。

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紅白鉄塔は96号鉄塔で、ニッポンハムの変電所に分岐しています。

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筑波線は築館線121号鉄塔(=筑波線99号鉄塔)で築館線と合流します。以降の鉄塔は築館線の名前になります。写真では、手前側から奥に伸びているのが筑波線で、左から来て真っ直ぐ右に行くのが築館線です。この鉄塔から154kV設計の4回線鉄塔になります。左に行く築館線の架空線は非常に細いです。銅線なんじゃないかと思います。

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築館線122号鉄塔から老番側。下館変電所に至るまでのすべての鉄塔が写っています。

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築館線の終着点の下館変電所に立つ高さ58mの築館線126号鉄塔。その先の背の低い127号鉄塔が最後の鉄塔になります。築館線127号鉄塔から架空線を受け取る引留鉄構のプレートには「筑波線」と表記されていました。

長らくのお付き合い、お疲れ様でした。

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日本軍と東京電力

以前、失敗の本質―日本軍の組織論的研究という本を紹介したことがある。
この本では、大東亜戦争の日本の敗因について、日米の物量差以外の要因について研究したものである。これにより明らかにされたのは、日本軍の取った作戦はことごとく「コンティンジェンシープラン」が欠如していたことがあげられる、というものである。コンティンジェンシープランとは、最悪の事態がもし起こった時にどう行動するかと言うプランの事である。もともと、日本軍の敵情収集は十分に行われていたとは言えなかった。つまり敵の情報が無い中で作戦を立てる必要がある。そんな中、不思議なことに日本軍は「希望的状態」を事実として決め込み作戦を立てていた。そして希望的状態以外の事は全く考慮していなかった。例えば、ノモンハン事変やインパール作戦では「敵の戦力は大したことない」という希望的状態に基づき作戦が立てられていた。インパール作戦では、補給が困難であることを指摘した大隊長に対して牟田口司令官は「なーに、敵は空砲を3発撃つと退却する手筈になっトル」という一言で片づけてしまった。ミッドウェーでは「敵の空母は近くに居る筈が無い」という根拠のない思い込みが支配していた。そして、その希望的な状態が現実ではなくなった時、ではどうするかというプランは存在せず、場当たり的対応に終始し、途方もなく被害が拡大した。

今、巨大地震の惨劇を目の当たりにして、当時の日本軍の考え方から一歩も進歩していなかったことが明らかになった。「敵の戦力は大したことない」という思い込みは「津波は大したことない」という思い込みをした東電に当てはまる。そして「大した津波」が来たらどうするのかというプランは東電にもそして日本政府にも全く存在していなかった。

日本軍の例では「希望的状態」に反する情報はことごとく無視されていた。ノモンハン事変では、ロシア軍の兵力はシベリア鉄道によって大幅に増強しつつあるという情報はもたらされていた。しかし関東軍はその情報を全く信用しなかった。東北地方の沿岸には過去において想定を超える大津波が襲っていた事実があると報告されていたが、東電はその情報を無視した。まだ現実にはなっていない例では、9.11の後、米国原子力規制委員会(NRC)から原発にテロが起こる可能性を考慮し対策を立てるように要請されたが、原子力安全保安院は「日本にはテロは起きない」として要請を却下した(*1)。

そして、あの震災から1年が経過した今においても、東電の体質は全く変わっていないようである。
台風並みに発達した低気圧の影響で各地で強風による被害が出た。福島第1原発でも原子炉建屋を覆うカバーに補強作業が行われたらしいが、それに関しての東電のコメント

東電によると、1号機の原子炉建屋を覆うカバーは、設計では風速25メートルまで耐えられる。松本純一原子力・立地本部長代理は「予想される18メートルの最大風速に対して問題はない」と話した。

毎日新聞 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120404k0000m040086000c.html
というのはまさにコンティンジェンシープランを全く想定ていないということに他ならない。東電のお偉いさんたちの頭の中は「なーに、敵は空砲を3発撃つと退却する手筈になっトル」と言った牟田口司令官と同じような思考回路に見えるのである。

(*1) 福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書

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JAXA見学

つくば市に住んでいながら今までJAXAには行ったことがありませんでした。
最近、立て続けに「はやぶさ」の映画を見たりしているので、ちょっくら覗いてくるか、って感じで行ってきました。

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申し込んだ見学コースは「宇宙ステーションコース」というコースです。国際宇宙ステーションでの日本の実験棟「きぼう」を24時間管制している管制ルームの見学がセットされているものです。その他のコースには、宇宙飛行士コース、ロケットコースなどがあるようです。

見学はまず最初にスペースドームに連れて行かれます。ここにはいろいろな衛星の模型やロケットエンジンの模型などが展示されていて、「きぼう」の実物大モデルや宇宙ステーション補給機「こうのとり」の試験モデルなども展示されています。

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人工衛星の外側は、太陽からの熱を防ぐためにサーマルブランケットというアルミ蒸着シートで覆われています。ガイドのおねーさんが説明しているのは、ブランケットはマジックテープで取り付けられているんですよというもの。

この見学ツアーでのスペースドームの見学は、かなり駆け足で通り過ぎます。ここへの出入りは自由にできるので、ツアーの後に再度見学しました。スペースドームの次には、筑波宇宙センターの紹介ビデオを見ることになります。上映をする建物の中にもいくつか衛星の模型が展示してありましたが、ここでの見学する時間はほとんどありませんでした。ここに展示してあったもののひとつ
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測地衛星のあじさいです。丸い鏡の衛星で、地上から発射されたレーザー光を反射します。その往復の時間を測ることで、衛星までの距離が正確に測定でき、それより地上の基準点の正確な座標値を求めることができます。1986年に打ち上げだそうですが、確かまだ現役で活躍していると思います。観測所は和歌山県の下里にあります。

ここから専用バスに乗り換え、きぼうの管制室がある建物に移動します。そこはセキュリティの関係でカメラは入り口に置いていかなければなりません。従って写真撮影はできなかったので、スペースドームでの管制室の説明から。

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管制室はこんな感じでデスクが並んでいます。

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J-FLIGHTの席に座っているのがフライトディレクタになります。実際に見ると、いろいろなマニュアルが所狭しと広げられていました。

これでツアーは終わり。私は再びスペースドームに戻ってじっくり見学することにしました。

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これがH-IIロケットの心臓部の燃焼室付近の写真。向かって左側から液体酸素、右側から液体水素が供給されてきます。液体水素は燃焼室とその下のノズルスカートを冷却したのちに燃やされます。

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第二段エンジンLE-5の模型。H-IIで用いられているのはLE-5Bというエンジンです。

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糸川先生のペンシルロケット。その実物大模型。日本独自のロケット開発はここから始まりました。

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歴代のロケットたち。

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はやぶさの模型もあります。

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イオンエンジンのイオン源と中和器。

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多分左上がイオンエンジンA,その隣がイオンエンジンBだと思いますので、地球へ帰還時にすべてのイオンエンジンが使えなくなった時には、左上の中和器と右上のイオン源を組み合わせたということですね。

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きぼうの実大セットです。見学ツアーの時はゆっくり見る余裕が無いのですが、人が居ない時に再度来たので好きなだけ見られました。

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きぼう内部の様子です。

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実験棟の上についている円筒状のものはカーゴスペースなんだそうで、その内部の様子です。

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スペースデブリの衝突実験だそうです。船内実験室バンパにアルミ球を高速で衝突させて、船体壁に穴が開かないかを確かめたそうです。真ん中のスタッフィングというところで止められています。

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「こうのとり」(HTV)の模型です。

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実物大のHTVはかなり巨大でした。次回の打ち上げは7月21日だそうです。

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プロフィール

夜行虫

Author:夜行虫
夜行虫とは天体撮影等、夜に出歩くのが多いことから名づけました。夜光虫の誤変換ではありません。海に潜ったり温泉浸かったりも趣味です。

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