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霞ケ浦海軍航空隊基地跡

予科練記念館が主催する、戦争遺跡の見学会に参加してきました。

見学コースは、霞ケ浦海軍航空隊基地跡→北浦海軍航空隊基地跡→鹿島海軍航空隊基地跡という順番でした。
午前中は、霞ケ浦海軍航空隊基地跡を見学します。前にも書きましたが、霞ケ浦海軍航空隊基地の本部があった場所は、現在は茨城大学農学部の敷地となっています。そして、井関農機茨城センターのあたりがちょうど広大な飛行場の中心辺りだったそうです。

霞空地図
(大日本帝国陸地測量部明治38年測量昭和4年修正測図5万分の1地形図「土浦」より抜粋)

井関農機の位置はここ。

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飛行場の中心には中央格納庫が置かれていました。それらの格納庫は現在でも井関農機の建物として使用されています。

現在の井関農機の入り口を入ってしばらくまっすぐ行くと、戦闘指揮所だった建物が左側に見えてきます。
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ここの屋上で誘導員が手旗で飛行機を誘導していたそうです。

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当時の格納庫がこんな風に現在でも再利用されています。戦後になって建物の拡張なども行われたようですが、今までのレンガ造りに似せて増築されているので、良く見ないとその部分がわからなかったりします。

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第四飛行機格納庫かな?

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井戸と思われ。その右横には鉄塔が立っていたと思われる4つの基礎が。

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南側の戦闘指揮所。

朝鮮戦争の頃に東洋精機がここの敷地を使って小銃弾などの製造を行っていました。その時に作られた射場がこちら。
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中を覗くとこんな感じです。

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これも東洋精機時代の弾薬庫。

引き続き茨城大学の敷地に移動しました。

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「皇太子お手植えの松」 大正11年時の皇太子ですので、昭和天皇の事です。

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その松のすぐそばに台地上に土を盛ってある所があるのですが、ここは25mのプールがあった場所だそうです。比較的最近まで飛び込み台なども残っていたのだとか。

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茨城大の横の道は、先日も書きました海軍道路なのですが、その道の西側には当時の兵舎の門柱がそのまま残っています。

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「方位盤」。阿見町指定文化財。基地に寄贈されたものらしいです。北の方角には、秋田、山形、札幌(?)、仙台と書かれています。

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軍艦旗掲揚塔です。阿見町指定文化財。ポールの部分はすでに撤去されています。

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こちらは個人の敷地内に残っている有蓋掩体壕。阿見町指定文化財です。残っているのはここ一か所だけだそうで、他の壕は中の鉄筋を取り出すためにすべて壊されてしまったそうです。

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掩体壕の内部。

午後は北浦海軍航空隊基地跡と鹿島海軍航空隊基地跡を巡りました。(後者は前に書きましたので省略します)
場所は、潮来市の潮来マリーナの付近になります。昭和16年に水上機操縦教育の為の施設として作られたそうです。

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鹿島基地のスリット(滑走台)は改築されてしまいましたが、ここのスリットは当時のまま残っていました。

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地震の影響(?)で波打った箇所もあります。

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ボンド(ドック)。今では半分釣り堀、半分がマリーナとして使われています。写真はマリーナの側。

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昔格納庫が並んでいたと思われる敷地。

付近にはその他、皇太子明仁殿下(「今の天皇陛下)御行啓記念の碑と北浦航空隊物故者水難者慰霊塔などが有ります。

この後、鹿島海軍航空隊基地跡に行きましたが、時間が無くてほとんどがバスの中から見学しただけでした。予め行っておいて良かった。
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長崎

ちょっとした旅行で長崎に行ってきました。

私は長崎はほとんど行ったことが無かったのですが、以前車中泊で九州を旅した時に少しだけ立ち寄りました。その時は雲仙を中心に、市街地は原爆資料館を見ただけでしたが、今回はまわり損ねた所を見ることが出来ました。惜しむらくは、自由に行動できる旅行ではなかったので、行きたかった軍港関係はお預けでした。

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めがね橋。似たような橋が同じ川にいくつかかかっているのですね。

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長崎市内を走る路面電車。料金は120円の均一料金でした。

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過去には戦艦武蔵が建造された三菱重工長崎造船所。写真ではちょっとわからないかも知れませんが、武蔵建造当時のガントリークレーンが残っているそうです。写真はグラバー邸から撮影。

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原爆の爆心地に立つ浦上天主堂遺壁。

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佐世保の九十九島のオジカ瀬。潜水艦にそっくりですが、実際戦時中に米軍が潜水艦と間違えて爆撃したそうな。

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島原にて湧水巡り。一番街のアーケードには至る所に湧水があり、大部分はこのように飲むことが出来ます。比較的炭酸の濃度が高いそうで(泡立つほどではありません)、かすかにですが炭酸水のような酸味が感じられました。

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鯉の泳ぐまち島原。清流の中を鯉が泳いでいます。上の写真は湧水庭園の池です。訪問者には無料でお茶のおもてなしが。

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諫早湾防潮堤の今。「堤防道路」と言う道が出来て、上を走ることが出来るようになっていました。この写真は、防潮堤のほぼ中間点にある駐車場から雲仙方向を見たもの。

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同じく、逆方向の北側を撮影。

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南部排水門のゲートです。ここには2門のゲートがあり、北部排水門には6門のゲートがあります。開門しろとかするなとかもめているのはこれらのゲートの事です。

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干拓事業を解説した立て看板にはもちろん効能書きしか書いていません。干拓と防災がこの事業の主とした目的だったのですが、果たして2,600haもの海面を締め切る必要があったのか私は疑問に思います。しかし防潮堤はすでに完成してしまいました。防潮堤の内側はすでに淡水化されていて灌漑に使用されています。今再び開門すれば塩水が入り込み、農業用には使用できなくなってしまうかも知れません。干満の差を元通りにしない限り、干潟の浄化作用は期待できそうもありませんし、逆に肥料などが溶けた水が流れ出ることで富栄養化が進むような気もします。

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こんなの作った

ベランダ太陽光発電の発電量計測の為にIN226で作った電力計の計測結果をリアルタイムに見たくなったのでこんなの作りました。

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こちらのサイトで入手したフリーの7セグメント数字を使用し、足りない小数点とマイナス記号のGIFファイルは自作しました。この例の日は一日中良い天気でしたので、試しに持ち出し用の50Wのパネルを並列に繋いでみました。合計100Wとなりますが、片方のパネルには一部分に影がかかっている影響で若干発電量が落ちています。フルに当たっていれば60Wは超えます。電力計を繋いでいるRaspberry Piではapacheを動かしていますので、PHPで刻一刻更新されている測定値ファイルの末尾1行を10秒おきに読み込んでその数値を表示しています。Raspberry Piは小さいのに何でもできてしまって面白いですね。

気圧とか気温のロガーも作りたくなってきました。
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ダブルレインボー

竜巻の警報が出たので、様子を見に出かけました。

今日は2回に分けて雨雲がやって来ましたが、幸い大事には至りませんでした。

雨が上がると、素晴らしい虹が現れたので…

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ダブルレインボーという奴です。見た人は幸せになるとか、願いがかなうとか言われているらしいです。良く見ると、内側の虹の更に内側に、もう一つ虹があるように見えます。これは過剰虹とか干渉虹とかいうそうです。内側の虹の内側は周囲と明るさが違っていますね。

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過剰虹が良くわかるようにした写真。

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ちょうど筑南線鉄塔の足元から虹が立ち上っていました。


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茨城県の戦争遺跡 ~鹿島海軍航空隊基地~

「茨城県の戦争遺跡」の今回は鹿島海軍後退基地跡を訪ねました。

行きがけに、阿見の予科練記念館とその近くの海軍道路などを見てみます。

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予科練記念館です。入場料は500円。館内は撮影禁止なので写真はありません。この辺り一帯は、海軍霞ケ浦航空隊の基地があったところで、現在の茨城大学農学部のあたりに本部があったそうです。予科練記念館のあたりには水上機の発着場があり、本部との間は海軍道路と言う一本道で繋がっていました。昭和15年に土浦海軍航空隊が独立し、予科練はそちらの所属となります。坂井三郎の大空のサムライを読むと、坂井は霞ケ浦航空隊で飛行練習生の試験を受け、入隊後は友部の基地へ移動したと書いてありました。

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海軍道路の湖側の終端から撮影。

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反対側はそのまま陸上自衛隊土浦駐屯地に繋がっています。

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海軍道路沿いの「総合衣料さとう」の店先にある境界標。ガイドブックによれば、もう一カ所あるそうなのですが、それは見つけることが出来ませんでした。

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予科練記念館に置かれている、人間魚雷回天の模型です。平成18年に放送された「僕たちの戦争」で使用された物だそうです。ドラマの方は細部を覚えていませんが、タイムスリップで現代と戦争中に生きていた二人の人間が入れ替わり、それぞれ翻弄されながらも生きていくという内容だったと思います。特攻は志願を募ったという事になっていましたが、それを拒否するのは「空気」が許さなかった状況が良く描かれていたのを覚えています。


霞ケ浦基地の方はまたの機会に取っておき、鹿島海軍航空隊基地跡に移動します。

大きな地図で見る


鹿島海軍航空隊基地は昭和12に完成しました。航空隊が発足したのはその翌年の12月15日だそうです。現在ではその北半分が国立環境研究所の敷地となっていて、南半分は最近まで東京医科歯科大学の敷地となっていました。

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司令部の建物です。戦後は東京医科歯科大学霞ケ浦分院が使用していました。結核療養の施設として1997年まで使用されていたそうです。友部の司令部と感じが似ていますね。御多分に漏れず心霊スポットとして有名なようですが、現在は立ち入り禁止です。入り口の蛍光灯が夕方になると点灯しているのを見ました。心霊マニア対策でしょうか?立札を見ると今は国立科学博物館が管理しているみたいです。

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多分号令台でしょう。筑波航空隊基地の司令部と号令台の位置関係と全く同じような場所にあります。

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号令台の側面。機銃掃射の跡のようです。

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草むらの中にこんな感じで建物の土台だけが点々と残っています。

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井戸です。中を覗くとまだ水が溜まっていました。

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トイレだと思います。1000人位が暮らしていたそうですので、トイレの数も半端でないです。

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下を覗くと・・・

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物干し場なんだそうです。

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水上機の滑走台です。基地の東側および南側に面して作られています。上の写真は南側のもの。今では水上オートバイの発着場として使われています。

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護岸はすべてこのような石組みで、これは基地当時からのものです。

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桟橋とカタパルト跡。

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カタパルト跡。

カタパルト
当時はこんな感じだったようです(霞ケ浦河川事務所のHPより)。

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機罐場の建物内部。

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同上。この辺は戦後も使われていたようです。

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機罐場横に立つ煙突。

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発電棟の内部。これは発電機の台座だと思われます。最近まで使用されていたようで、地絡継電器の銘鈑には比較的最近の年号が書かれていました。


この次は霞ケ浦航空隊の遺構を取り上げたいと思います。

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プロフィール

夜行虫

Author:夜行虫
夜行虫とは天体撮影等、夜に出歩くのが多いことから名づけました。夜光虫の誤変換ではありません。海に潜ったり温泉浸かったりも趣味です。

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