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筑波山周辺の古墳探訪(1)


筑波山の周辺には非常にたくさんの古墳があります。

特に古墳の世界にのめり込んでいる訳ではありませんが、暇な休日にぶらりと探索するのも良いかなと思い、こういうカテゴリーを設けてみた次第です。

その記念すべき(?)第1回目は、石岡市青田の岩谷古墳、つくば市平沢の平沢古墳群です。

■岩谷古墳
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朝日トンネルを抜け、旧八郷の盆地を走る県道138号線の脇にあります。最初、古墳がどこにあるのかわからず、栗畑で収穫していた農家のお爺さんに案内してもらいました(古墳自体が個人のお宅の敷地内にあるようなので、結果的にお声がけをして正解でした)。2011年の地震で石室の壁石が倒れてしまったのが昨年修復されたそうです。

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現在では覆土はかなり流出しているようです。

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江戸時代の年号が刻まれた石仏がありますが、元々この場所に有ったものなのかどうかは不明です。石仏は十九夜様(如意輪観音)です。

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前室

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中室を奥から。石室内には江戸時代の太子信仰による石仏が大量に安置されています。

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玄室。石仏は頭が白いものとそうでないものがあります。白いものは後の時代に修復されたものかも知れません。

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玄室左側

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同右側

■佐都ヶ岩屋(さどがいわや)古墳(平沢1号墳)
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筑波国際カントリークラブへの坂道途中のヘアピンカーブの所に案内板が立っています。7世紀中~後期の古墳時代末期に築造されたとあります。この付近には「三十六岩屋」という伝承があり、開口した横穴式石室を岩屋と呼んでいたそうです。現在残っているのはここを含め四か所とのこと。今回はそのうちの三か所を見学しました。

(右側・左側の表記は入り口から見ての向き)
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羨道部と前門。

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前室と後門。

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前室奥から入り口の方を見た様子

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左側の奥室。

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右側の奥室は天井石が無く開口しています。

先程の案内板には、平将門の娘、瀧夜叉姫がここに隠れ住んでいたとの伝説がある、という記載があります。瀧夜叉姫伝説を簡単に解説すると、平将門が朝廷に討たれた後、その娘五月姫は復讐を誓い京都の貴船神社に願をかけ、妖術を手に入れます。名前も瀧夜叉と改め、朝廷に対して謀反を起こします。しかし、朝廷から派遣された陰陽師大宅中将光圀によって調伏されるというお話です。 実際には、五月姫は将門討伐の後は西福寺という寺で仏門に入り余生を全うしています。西福寺は今は跡形もなくなっていますが、かつての西福寺跡には姫の墓とされる遺構があります。西福寺のそばにある東福寺がその伝説を伝えています。東福寺では瀧夜叉姫ではなく瀧夜盛姫と呼んでいるそうです。次回はこの瀧夜盛姫の墓を訪れてみたいと思います。

2018.9.12 追記:
瀧夜盛姫のお墓に行ってきました。
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WEBで見た写真を元にGoogle street等で場所を特定しようとしましたが、全く場所が判りませんでした。仕方なく東福寺に方に場所を聞くと親切に現地まで案内してくれました。因みに場所はここでした。

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毎年施餓鬼供養が行われているようで、塔婆も備えられていました。

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塔婆の向き(戒名が書いてある方が正面)からすると、こちらがお墓の正面という事で良いのかな? 戒名の如蔵尼の文字が見えます。

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墓を管理されている東福寺は建長年間に鎌倉の極楽寺から移ったと言われているそうです。聖徳太子の作と言われる延命地蔵が御本尊とのこと。

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この仁王像はもともと筑波山神社に有ったものだそうで、廃仏毀釈の難を逃れるためにこちらに移設されたそうです。桜川を船で運ばれたそうで、流れ仁王と呼ばれることもあるそうです。

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で、これが瀧夜盛姫の墓の石室だった言われる石板です。古墳の石室の石板とほぼ一緒ですね。このあたりは「松塚」という地名ですが、「塚」とは古墳を指していると考えられます。実際、松塚古墳群と名付けられた2基の前方後円墳と1基の円墳が確認されています。

■前島岩屋(平沢3号墳)
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先程のつくば国際カントリークラブの坂道の下の方に位置します。

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七世紀中葉~後半頃の鉄鏃や須恵器が出土したとあります。

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覆土の流出防止や石室の落盤防止の措置が施されています。

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羨道部

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前室

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奥室。大日如来像が安置されています。江戸時代には一字一石経塚(経文の文字を一文字ずつ一つの石に書き写し穴を掘って埋葬する)として再利用されていたそうです。

■開山岩屋(平沢二号墳)
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上の前島岩屋の比較的傍にあります。七世紀中葉~後半頃(古墳時代終末期)の築造と考えられているようです。

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おっと、これはまた難易度の高そうな…(笑) 蟲師続章の棘のみちを思い出しました。

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玄門の形は蓮弁を表現したものだそうで、仏教の影響を受けているとする見解もあるという説明でした。

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後室の右側の壁

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天井

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地面の中からはなぜか包丁が・・・ 事件性が無いと良いけど。これを見た後に上の写真の壁のシミを見ると血痕に見えてしまう・・・
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かつてここが一字一石経塚として利用されていたことを示す石塔。「法華一字一石経 雲外勤書」と刻まれているそうです(どう目を凝らしても素人の私は全く判別できません)。

石室の撮影にはもっと広角のレンズが要るなぁ。次回は20mmでも付けていくか。
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夜行虫とは天体撮影等、夜に出歩くのが多いことから名づけました。夜光虫の誤変換ではありません。海に潜ったり温泉浸かったりも趣味です。

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